2012年5月29日、甘太郎商店さんのご主人にお話を伺いました。
以下はその時のお話をまとめたものです。
地震の際、大渡町のいきがい市場内店舗で仕事中だったそうで、市場内の各店主さんは個々に避難となり、ご主人と奥さんは100m程離れた駐車場から車で避難されました。すぐ渋滞に巻き込まれましたが、大渡川下流に津波が見え、駅方面へ大渡川を渡ることを断念し、強引に直進し釜石小学校へ向かったそうです。大渡橋上で渋滞していた車は津波に流され人的被害も多かったとのご主人の話でした。
翌日、釜石小学校の避難所を朝7時に出て、徒歩で大渡川の川沿いに駒木町から千鳥町の被災していない地域を通り小佐野の自宅まで1時間位かけてたどり着くことができた。被害にあった地域からなかった地域に入った時、あまりの違いに呆然としたとの事でした。
大 渡の店舗は道具を何もかも流され、2週間ほど各店主さんたちでがれきを片付け、ここでの再開は断念。ただ、のれんだけは残っていて、また店をやれと言われ ているように思ったそうです。最初仙台で機械を買い付けようとしたが、4月7日の余震の被害で仙台の業者から仕入れられなくなり、その後青森から機械を購 入した。自宅の倉庫を直して、5月20日からお店を再開。開店から一週間位、一個50円で販売したところお客様から大変喜ばれたそうです。
町づくりに関しては、流された地域が昔からの古い商店街で、震災前は不景気でシャッター街化していたのを考えると、かさ上げ工事などが終わってからのちの釜石の復興は大変なのではと語っておられました。