6月4日(月)14時、川端米穀店のご主人にお店でお話を伺いました。
○震災当日の動向
地震の時、ご夫婦ともにお店にいて、避難するつもりはなく、近所の一人暮らしのおばあちゃんを自宅兼店舗に連れてきてしばらくそこに残っていました。しかしおばあちゃんだけでも避難させようと、ご主人が旧一中の避難所まで送って行き帰る途中に、津波が自宅まで及び、2階の窓に奥さんの姿が見えたそうです。
奥さんはその時自宅一階に残って居り、津波は一階玄関を突き破って入ってきてそれに流されそうになったが、どうにか階段手すりにつかまり、気が付いたら二階に居たそうです。
一階に人の声がするので見ると、自衛隊員さんが水に流されながら家に入ってきた。(自衛隊員さんは当時用事があってたまたま市役所の方に来ていたそうです)
それから自衛隊員さんも2階に上がって、そこからシーツを垂らし、外を流されていた女子高生と男性の方を助け上げ、4人は、水が引いた後、瓦礫の上に畳などで道を作って旧一中まで避難したそうです。
ご夫婦はこの日は寶樹寺に一泊。避難している人は70人位いた。
翌日甲子中学校に移動するように言われたが、人がいっぱいだということで旧一中の避難所に。体育館で4か月半過ごした後、旧商業高校仮設住宅で2か月半居住。店舗兼自宅は一階天井まで浸水したので、修理し、自宅に戻れたのは10月になってからだったそうです。
お店の再開は10月20日から。
避難した時の経験から思うのは、いつも避難訓練では、旧一中の校庭にとりあえず集まるということしかやってこなかった。実践訓練として、建物の中に入るまでの工程を行うべきではないか、と語っておられました。
かさ上げや道路拡幅など周辺の土地がどうなるのかまだはっきりと決まっていないので、早く決まってほしい。町内会も人が減っており、今後が不安との事でした。
・・・・・貴重なお話をありがとうございました。
このサイト上の「復興店舗マップ」に、お店の方々の証言と、避難経路を図示化したものを掲載させていただいています。