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2011年9月30日 8時40分

【レポート】浜町の避難場所「浜町避難道路」まで行ってみた。

2011年、9月9日に現地を実際に歩いてみたレポート記事です。


津波がまた起こったとき、ちゃんと避難経路を覚えているかどうかは直接生死にかかわってくる問題です。
今後また、震災、津波が起こった時のために避難経路までの道のりを実際に歩いてみます。
今日は、釜石の市営ビルから、一番近い
「浜町避難道路」
詳しい場所は地図をご覧になってください。

●「浜町避難道路」
 頂上付近の高さは、海抜20mです。眼下の町並みの海抜がほぼ0m。
 
 浜町避難道路には4つの経路があります。

「浜町東側口」
「西園タクシー口」
「天王山口」
「市役所東側高架橋口」


まず、「天王山口」から。

●「天王山口」
 コンクリート階段 全93段
 
釜石市営ビルから歩いて2分ほど。今の釜石市役所から歩いて1分くらい。階段があります。入り口付近はゴミなどの残骸が散乱しています。階段は急なので気を付けてください。

避難場所の目印が立っています。

上から、魚市場方面を撮った写真。大震災の時、ここにはおよそ100名の方が避難されたそうです。


ここから、今度は「西園タクシー口」に向かって歩きます。

●「西園タクシー口」
 コンクリート階段 全20段



釜石の「狐崎城」(きつねざきじょう)の史跡。



文明15~文亀2(1483~1502)年の間にこの地へ来た狐崎玄蕃が築城。その後、荒谷肥後が居城。
慶長6(1601)年7月、肥後は葛西旧臣・鹿折信濃と共に一揆を起こし、伊達政宗の家臣・中島大蔵信貞らの攻撃を受けて落城した。

俗にいう「釜石一揆」が発端で落城したお城だそうです。
恥ずかしながら、この史跡、私は初めてみました。釜石にはこのほかにも8つほどの「山城」があったようです。

お城があった時代、ここは崖で、この場所の下まで波がきていたそうです。

西園タクシー口を下りていきます。ここで猫の親子に出会い、少し癒されました。

道なりに下りていくと、階段が。ここの階段も急ですので気を付けてくださいね。



続いて、今度は「釜石高架橋口」と市役所方面からのルート。

●「釜石高架橋口」
 コンクリート階段 全75段

 
市役所方面からはこのような感じ。ゆるやかな傾斜を上がっていきます。



釜石高架橋口はこちら。





今のところ、手すりは曲がったままです。

このまま道なりに進みますと、天王山口を通り過ぎて頂上付近に到着します。



こんにちわ



今度はここから西園タクシー口を通り過ぎて「東側口」へ下りていきます。



●東側口
 階段はなく、坂になっています。



◎震災時の避難状況~浜町避難道路~
●避難人数:約100人
●一時避難後の移動先:釜石市役所、釜石一中、千寿院

震災当時、この浜町避難道路へ一時避難した方々はこの後、波が引くのを待って
その後市役所方面から建物がある避難所(釜石市役所、釜石一中、千寿院)へ移動したようです。

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所要時間ですが、釜石市役所または市営ビルから歩いて、頂上まで到達するのに約5分。わりとゆっくり歩いてみましたがこのくらいです。
ただ、津波警報が発表されれば、やはりこの近辺の方は一斉に来るでしょう。
車で逃げる方、も出てくると思いますが、道路は渋滞になることが予想されます。緊急事態時は臨機応変に徒歩に切り替えることも考えましょう。

近辺に住んでいる方なら、比較的避難の初動を早くとればこの避難場所でいいと思います。が、必ずここに逃げなくてはならない、ということではありません。その時の自分の状況、いる場所を考え「臨機応変」に行動をお願いします。

※尚、数字でのデータ、詳しい現地の様子については釜石市役所防災課の方にご協力いただきました。ありがとうございます。


アメフラシ・ホタテ人間

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