この仕事をするきっかけとなったのは高校時代の担任の先生からの紹介でした。
震災後まだ仕事の決まっていなかった私はすぐにやりますと言い、長坂さんと面接することになりました。
履歴書を書き面接日当日、緊張しながらも面接はすぐに終わり、その場で仕事の内容を説明されて、1年間の臨時雇用というかたちでしたが無事仕事が決まることができました。
でも喜び半分、不安半分という気持ちでした。
その理由は2つあります。
まずは仕事の内容、そして給料でした。
仕事の内容は担任の先生からの紹介のときは簡単なパソコン作業ということで、私にもできそうだと思い面接を受けましたが、話を聞いてみると、パソコン作業はもちろんのこと、被災者への取材、写真の撮影といった聞いていない内容ばかりでした。
給料については、最初は15万だったのが14万、13万とどんどん下がっていき、結局は約10万ということになり、当初の金額から5万も下がってしまいました。
求人募集に書いていた内容とは大きく違う話でしたが、行き先が不安になりながらも他に仕事も決まっていなかったので1年間頑張ろうと思いました。
4月の下旬頃に千葉さん、臺さん、遠野さんと顔合わせをして、5月から正式に活動を始めました。
最初はパソコンを使い、gmailへの登録や、いろいろなソフトのインストールなどの作業でとても簡単でした。
それから写真撮影の練習、定点観測の仕方などを教わりました。
事務所が世田米に移り、必要な備品を揃えたり、ボランティアの方々と一緒に作業したりしました。
数週間でまた事務所がまた移って、次は熊谷さんの自宅になりました。
陸前高田市での業務が増えてきて、ボランティアの方々と一緒に、市内の所々にまとめて置いてある写真または貴重品などといった様々な物の回収、回収したものをジャンル分けして整理、濡れてしまっているものは天日干しをして乾かす、状態良いものから洗浄作業、洗浄が終わり綺麗になったものから返却会を開き、持ち主が判明したものから返却といった仕事をほぼ毎日しました。
伝承館で返却会を開いた時に、カメラ取材の方々がしつこくカメラを向けてきたのでとても嫌になりました。
他にも取材活動ということで八木澤商店の会長と社長に取材をしました。
私の役割はビデオカメラの撮影でした。
三脚がなかったので撮影は大変でしたが、無事取材することができました。
この頃には少しずつガレキの撤去が進んできたので、その様子を撮影したりしました。
そして事務所がまた移動し熊谷さんの自宅から、熊谷さんが経営している大船渡印刷の事務所の上にプレハブを乗せて、そこが次の事務所になりました。
8月にはワークショップがあるということで、そのために大船渡、陸前高田市内の各中学校の校歌の音源が必要ということで、各中学校を訪ねて音源集めをしました。
ワークショップの内容は、被災地域を撮影して、それを繋げて短編の映画を作るというものでした。
でも実際映画にその校歌の音源が使われているのをあまり見受けられず、ワークショップが終わってから、本当に必要だったのかと思ったりもしましたが、無事映画作りも成功することができたので良かったと思いました。
ワークショップが終わってからは、モビリアや伝承館で作業が増えてきました。
写真などの回収、洗浄作業はまだまだ終わる気配はありませんでした。
これらの作業にはボランティアの方々を中心に作業していて、私たちも一緒に作業していました。
でもボランティアの方々が、毎日のように人が入れ替わりをしていたので、その度に私たちが作業の手順を教えていたので、作業の進み具合はとても遅かったように感じます。
でも海外ボランティアのAll Handsの方々が来てからは、常に作業の手順を知っている人を現場に置き、日本語を話せる方をメンバーに加えていたので、こちらとしてはとても助かりました。
伝承館での返却会では、人手がないということで土日にKOMのメンバーで半分に分かれて、手伝ったりもしました。
このような作業を通して様々な方々と一緒に仕事が出来たことは、とても良い経験になったと思います。
遠野市で行われたシンポジウムでは、~シンポジウム 東日本大震災の記録とその活用 311まるごとアーカイブスが目指すもの~ということで開催されました。
このシンポジウムは三部構成で、第一部では「311まるごとアーカイブス」、第二部「データの収集・活動をめぐる課題とアイディア」、第三部「データを世界に発信する」というテーマでシンポジウムを進めていきました。
私たちが主に参加したのは第一部のテーマについてでした。
第一部では、311まるごとアーカイブスの活動目的や概要をはじめ、アーカイブ活動の取り組みを紹介しました。
アーカイブ活動に実際に携わっている方々にインタビューを行いながら、私たちを含めた13のプロジェクトの活動状況について報告しました。
私たちも半年間行なってきた成果を十分に報告できたと思います。
第二部以降はシンポジウムには参加せず裏方の手伝いをしながら聞いていましたが、二部、三部は本格的な討論という感じでした。
約5時間のシンポジウムも無事終了し、今後も地元の復興について頑張ろうと思いました。
シンポジウムも終わり、次はマップコンテストに参加するということで、eコミを使いマップを作っていきました。
私たちのマップは「つながりマップ」というテーマに基づき作成しました。
大船渡、陸前高田市を車で回り、新しくできた仮設店舗の情報と写真をマップに載せて行く作業を1ヶ月以上続けて、無事締切前にマップを完成させることができました。
コンテストの結果は分かりませんが、自分たちなりに納得のいくものが作れたので良かったと思います。
12月からは事務所も変わり、夢商店街にある復興地図センターでの活動になりました。
以前は秋山さんの指示で活動していましたが、今回から増田さんと萩原さんの下での活動ということで、多少戸惑いもありましたがだんだんに慣れていくことができました。
地図センターの活動として最初に、夢商店街内にある店舗にインタビューをしました。
店長が不在だったり定休日や誰もいなかったりして、なかなかインタビューが進まず大変でした。
何人かの人が、2年後はどうしようかと先のことを心配していて、皆それぞれ不安を感じているんだと思いました。
インタビューもだいたい終わり、次にたこ焼きを作り始めました。
なぜたこ焼きを作ることになったかというと、蛸ノ浦地区に大ダコの伝説があるらしく、それに目をつけた増田さんの提案により大ダコ伝説になぞらえて直径8cmにもなるたこ焼き製作が始まりました。
みんなでレシピを考えて、ポン酢味、カレー味、明太子味、梅味など様々な味のたこ焼きを作って試食しました。
正直1日中たこ焼きを食べさせられた日は苦痛でしかなく、途中からは今野さんの手伝いでLANケーブルの
製作に勤しみました。
レシピを絞るためにコストの面やいろいろなことを思案し、何品かに絞りたこ焼き製作は一時終了しました。
1月の下旬には大船渡市にあるリアスホールで防災フェアが行われました。
防災フェアの内容は、地図を大きくしたものをパズルゲームにしたものや、会場の中から何人か募って防災ラジオドラマをするといった内容でした。
パズルゲームでは参加した小学生たちがとても楽しそうにパズルを解いていたし、ラジオドラマもそれなりのものができていて、約6時間にわたる防災フェアは無事終了しました。
2月の中旬に茨城県のつくば市でまた防災フェアがあるということで、こちらにある物品を販売するということになり、ならたこ焼きの試食会もしようということでたこ焼き製作が始まり、3泊4日のつくば研修が決まりました。
1日目は移動で7時間かけて車でつくば市に行きました。
2日目は午前に何箇所か施設を見学して、午後からは自由時間でした。
3日目は防災フェアで、たこ焼きの試食会をする予定でしたが、ノロウィルスがどうとかで中止になり、物品の販売だけとなり、及川屋の商品やアカシアの蜂蜜を売って完売することができたのでよかったです。
4日目はJAXAなどの施設を見学して、夜の10時頃に大船渡に帰ってきました。
つくば市に行った感想は、土地が広くて住みやすそうな街だったし、何より地下鉄に乗り45分で東京に行けるのがいいなと思いました。
3月に入り残すところ後1ヶ月になりました。
3月の業務はほとんど4000字の手記と1年間の業務内容の整理に終わりました。
3月11日、東日本大震災から1年経ってみんなで追悼式に参加しました。
震災から1年経ったという感じはあまりなかったのですが、追悼式泣いている人を見たり、14時46分にみんなで黙祷をしているとだんだんと実感がわいてきました。
1年前に比べると大船渡の様子も大きく変わり、ガレキも無くなり、店舗も増えて着々と復興に近づいてきていると思います。
陸前高田はまだまだガレキが多く、住民が安心して暮らせるほど復興には至っていませんが、陸前高田でも仮設店舗がどんどん増えてきたり、信号ができたりしてこちらも少しずつ復興に向かっています。
これも防災科学研究所の方々をはじめ、数多く人たちが被災地での支援事業を頑張ってくれたおかげだと思います。
そして私もKOMのメンバーとしてこの仕事を通して被災地復興のために微力ながら頑張ってこれたのも、防災科学技術研究所の皆様のおかげだと思います。
本当にありがとうございました。
KOMのメンバーとも1年間を通して何か絆のようなものができたと思います。
4月から皆それぞれの場所で頑張っていくことになりますが、またいつか一緒に集まれることを楽しみにしつつ過ごしていこうと思います。
最後までまとまりの無い文章で誤字脱字があるかもしれませんがご容赦下さい。
以上で4000字の手記とさせていただきます。
1年間本当にありがとうございました。