2011年10月31日 16時28分
おおふなとさいがいエフエム 佐藤健さん
大船渡市で独立して10年整体師をしていた佐藤健さん。今回の震災で職場と自宅を失い、「おおふなとさいがいエフエム」の代表を務めることになりました。その佐藤健さんにインタビューさせていただきました。
<おおふなとさいがいエフエムを立ち上げたきっかけはなんですか?>
震災後、奥州エフエムという水沢のコミュニティーエフエム局が、災害時はエフエムがすごく有効なのでやってみたらどうか?という話を大船渡にもってきました。
役所で検討した結果、ぜひやってみようということになったけれど、やる人がいませんでした。災害エフエムの役割を広報の係にしたけれど、広報でも前例がないということで、やる人がいませんでした。たまたま広報の印刷をやっている印刷会社の社長さんがその話を聞いて、その印刷屋さんと私の家族が家族ぐるみで付き合っているので、まず私の妻に話がきました。私の妻は選挙のウグイスをしていた経験があり、ぜひやっていただきたいという話がきました。
当時私は自宅も店舗も流されていて、それでも何か動きたいと考えていました。最初はボランティアとして避難所を回り、マッサージをしていました。でも各県から災害ボランティアで整骨院やマッサージの人たちがたくさん入ってきたので、地元の人間がやるよりも、せっかくきている支援の人たちにやってもらいたいというのがあり、何か他にできることはないか考えていました。
たまたまその時、奥州さんから災害エフエムの声がかかったので、とりあえず説明を聞きにいきました。テレビも電話もつながらない状態で情報がない時期だったので、情報伝達が必要だと感じました。もともと治療院の仕事は、体のケアだけでなく心のケアもやっていこうというテーマでやっていたので、その情報発信をすることでなんらかのケアができるのではないかと考え、参加することにしました。
最初は私たち夫婦と役所に父がいる大学生と立ち上げました。3月28日から試験放送が始まって31日の本放送まで3日しか日数がなく、奥州エフエムの人が1人がつき、28日からすぐ放送が始まるという状態でした。その奥州のかたが本当は1か月間いる予定が、体調不良で倒れてしまい、誰もこれない状態になってしまったので、全て私に運営を任せるという話になりました。もともと何も経験がない状態だったので、手探りで立ち上げてきました。最初は私の妻と大学生が放送していて、私自身は奥州の人からどのようにしていけばいいのかレクチャーされていました。31日の本放送が終わってから、私自身も放送に参加しました。
<災害エフエムが始まってから今までで、情報の変化はありますか?>
震災直後は、ライフラインの情報・給水箇所の情報・電気の復旧情報・炊き出しの場所・行政からの連絡(義援金の申し込み・仮説住宅の申し込み)など。徐々に災害的な情報から、復興に向けたイベント情報に変わってきている。行政からの連絡はだんだん増えてきています。
<情報がつきることはないのですか?>
現在は1日に 9時から、12時から、3時からの計3回放送しているが、すべてほぼ同じ内容の放送をしている。本来は録音でながして良いのだが、大船渡は生で放送をしている。
<自治会の仕事はどのようなことをしているのですか?>
毎週会議をしていて、自治会の規約を会長と私で話し合っています。なぜかというと、震災前のコミュニティーじゃないコミュニティーができてしまったからです。今まで行政区で別れていたものがバラバラ仮設に入ってしまったので、新たなコミュニティーをつくりあげなきゃいけないのです。あとは仮設の不具合・駐車場の管理・街灯の取り付けなど、住民アンケートをとっています。
また、交流会のイベントをやったり、警察と消防を呼んで防災訓練や消火器の使用訓練の段取りをしたり、仮設に住んでる人たちが普通に生活できるような環境に整えることが自治会の仕事だと思っています。仮設にはもともと知っている人もいれば、全く知らない人もいるし、1人暮らしの老人が多いので、回りにいったり、支援員がいるのでアンケートを回収しに行かせたりしています。
<整骨院の仕事は再開しないのですか?>
場所がないので、自宅に回ったりして、4月からもともとやっていました。店舗のほうは12月を目途に完成する予定です。大船渡市内に3か所の仮設の商店街ができるのですが、そこの1か所をおさえているので、そこで再開する予定です。
<災害エフエムと整骨院を両立していくのですか?>
本業の方には徐々にシフトしていきたいです。ただ災害エフエムは私が引き受けたものなので責任をもちたいです。その準備をふまえて、スタッフだけでも回れる状況をつくってきました。これからも関わりはするけれども、徐々に本業の方にシフトしていこうと思います。
<今後どのような大船渡を目標に活動していきますか?>
まずは、被災者で終わらないで自立していく方向にもっていきたいので、イベントを通してだったり、雇用確保をしたりして、自立した生活ができるお手伝いをしたいと思っています。今回の震災はひどい状況であったけども、過去にこれほどの被害にあった都市はないので、逆に、国際的な災害復興都市にできればいいです。そうすることによって世界中から人がきたり、研究対象になったりするかもしれないのです。
起きてしまったことを批判するのではなく、それを復興させることによってモデル地区にできるのではないかと思います。今、市外にいる子供たちが将来安心して住める街にしたいです。このままだと人が流れてしまうので、出て行かなくても仕事ができて、安心して子育てができる街にしたいです。