2012年2月03日 20時15分
奥州市「角塚古墳」
なんと岩手にも前方後円墳が!ということは大和政権が当時ここまで波及していた事になり、日本史を考える上で大変貴重な古墳である事が判ります。
記録的な大雪が降る中、奥州市胆沢地区に向かいました。幹線道路脇にあるのですぐに判ると言われていましたが、家と家の間の田畑の中に突如それは現れました!
雪が30cm以上も積もっているので、まるでUFOのように見えます。
この古墳と道を挟んで反対側に「角塚古墳公園」があり、駐車場もあります。ここに車を置いてゆっくりと見る事ができるようです。
思っていたよりも環境整備状況が良く、北限の前方後円墳の面目躍如!っていう感じでした。
wikipediaから
北上川中流域、北上盆地のやや南寄りに位置し、西から合流する支流胆沢川の形成した胆沢扇状地の標高約76メートルの低位段丘上に立地する。
昭和10年代より地元研究者が埴輪の出土に注目しており、昭和20年代には広く紹介されて、1947年(昭和24年)には前方後円墳と確認され、日本列島北端に位置する本格的な前方後円墳として注目されていた。
1957年(昭和32年)には県指定史跡となった。 1970年代になってほ場整備事業が計画され、それを受けて胆沢町教育委員会が1974年(昭和49年)と1975年(昭和50年)の2か年にわたって測量や範囲確認調査をおこない、その全貌を明らかにした。
5世紀末から6世紀初に築造されたと見られ、1974年(昭和49年)の調査では埴輪と葺石が確認された。 全長44 -
45メートル、後円部の径約30メートル、高さ約4.
5メートル程度であり、後円部は2段に築成されている。
前方部は南を向き、後円部にくらべて前方部が低く短くなっているのが特徴となっている。前方部の長さ約16~17メートル、欠損部分の推定も考慮して前端の幅がおよそ20メートル、くびれ部分の幅が約13メートル、高さ約1.
5メートルと復原されている。
周濠は後円部周辺が幅約10メートル、前方部で約3メートルと狭くなり、全体としては馬蹄状をなす。平面形が前方部に向かってすぼまっている。
参考:
http://www.geocities.jp/mshomei/pareo/25kai-shiryou/kado.htm
伝説では、高山掃部長者(たかやまかもんちょうじゃ)の妻が大蛇に変身し農民を苦しめていたところを、この地を治めていた源義実の頼みを受け胆沢にやって来た小夜姫(さよひめ)が経典の力で退治し、その大蛇の角を埋めたのがこの古墳だと言われている。