6月8日、陸前高田市にある障害者支援施設「ひかみの園」の園長、菅野正明さんにお話を聞きました。
これから、定期的にお話をうかがっていくので、ご挨拶を兼ねてになりました。
まず、ひかみの園のご紹介からです。
写真は、ひかみの園の外観。
正式名称は、社会福祉法人 愛育会 障害者支援施設 ひかみの園
周辺には、畑(写真)や仮設のグループホームがあります。
震災当時のお話を少しうかがうことができました。
写真は、菅野正明さん。
【震災当時】
この施設は、高台にあったため、被災は免れた。菅野さんご自身は盛岡にいらして、急遽駆けつけた。到着は19時頃になった。
家の近くのショッピングセンターに買い物に行っていた利用者と職員がいたが、渋滞に巻き込まれることもなく、すぐに戻ることができて無事だった。
当時の入所利用者は69名(うち3名が入院中)、短期入所利用者が2名いらした。
すでに当日から体育館に100名ほどが避難していらした。法人のグループホーム入居者、被災した通所施設利用者そして、一般住民の方。
その後は40名くらいの避難者になる。
グループホームでは6か所の共同生活住居で28名が生活。被災後は、内陸等遠くから来ている方は、向こうに帰っていただいたりして、13名の方が入所している利用者さんと一緒に過ごした。
たまたま、いただきものの衣類や布団があったこと、また100人分×3日分くらいの非常食は用意してあった。防災訓練も年6回実施。大きな冷蔵庫、ガスコンロ(イベント等で利用)等もあり、温かい食事を出すことができた。入所の施設は災害に強いと実感。
水道は、自家水道。電気がくれば水が出る。14日の夜には使えるように。1週間もしないうちに、お風呂にも入れた。ただし、燃料の重油がいつ入るかわからなかったので、1週間に1回にしていた。
ここにくれば温かいものが食べられるという話が伝わっていたらしいが、特にここに殺到してくるということはなかった。
グループホームの方は、まず雇用促進住宅1部屋に入っていただいて、そこからこちらの仮設に移り、いまは個室になっている。
ひかみの園にいるよりは、雇用促進のほうが居心地がよい。2~3名で一部屋にいても、そこは自分の部屋、城で、ここ(ひかみの園)は、よその家(笑)。
一番の被害は、グループホームの職員の方がお一人、自宅にいたようで亡くなられたこと。またグループホームが6か所(借家)と4月開所予定だったケアホームも津波で流失。利用されている方はみなそれぞれ職場にいたので、被害がなかった。これが日曜日等であったら、厳しかっただろう。
また真夏や冬に向かう時期でなかったのが幸いだった。
利用者のご家族に無事の連絡を入れる手段がなかった。自転車で確認しにいらしてくださった方はいたが、たまたま12日か13日に、取材が来て映してもらい伝えることができた。ラジオ局も保護者にも連絡がつかなかった。
携帯電話がつながるようになったは、1週間以上あと。限られたポイントでのみとなった。
とても感謝していることは、利用者が騒ぐことなく落ち着いていたこと。
危機感のようなものを感じていたのかもしれないし、職員が一緒にいたので、安心感もあったのかなと思う。
3月中は、職員のご家族で亡くなったり、家を流された方もいたので、何人か利用者を見守る職員を残して、あとは探しに行ってよいだろうということにした。
幸い私自身が家も家族も大丈夫だったので、ここにいられた。3~5月は、休むことなくいるようにしていた。油もないので4週間に1度帰る程度。家の畑から野菜を持ってきたりしながら。
これまではあっという間。長いようで短いというのはこのこと。大変なのは3月、4月、5月。4月からは職員も勤務どおりに働いてくださいとした。ここに泊まる人もいたが、正常に戻さないといけない。4月になれば、ガソリンも大丈夫になった。
避難してきた方が過ごす建物と利用者が、生活自体がわかれていたこともよかった。あらゆる面で恵まれていた。
近い行事は、納涼会(7月?)。例年スポーツ交流会をやっていたが、去年今年は難しそう。
【いま一番の心配事】
一番心配なのはは職員の心のケア。利用者の家族で亡くなったのは、2家族。家を流された人もいるが、職員の家族が多く亡くなって家も流されているので、いま一番の心配ごと。時間がたったから、心配がなくなるというわけではなく、一人になってしまった職員もいる。
普段どおりに働いてもらっているが、なにか心配事ないかとあえて聞くわけにもいかない。2回くらい心のケアの保健師さんに来ていただいているが、効果はわからない。個別に話しをしたりもしてないので、継続的にやっていくことは必要と思うが、どういう方法がよいかもわからない。
ここでは利用者が目の前にいるからよいのかもしれないが、家や仮設に帰ったとき、どうすごしているのかなと。
どういう気持ちで働いているのか、まだまだ聞けるような感じでもない。
どうしたものかと考えている。