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2012年10月11日 16時33分

【いまを聞く】~NPO法人handsさんのご紹介~

 
北上市に事務局がある北上のNPO法人handsさん 代表 菊池さん(写真左)と支援員の高橋さん(写真右)に釜石市社協の生活ご安心センター(写真は前の建物)でお話しを伺いました。
   
‐自己紹介お願いします。

高橋 歳は19歳です。秋田の国際教養大学に今年の秋9月から入学する予定です。
菊池 歳は34歳です。仕事はデザイン業の会社を経営している社長です。

-NPO法人handsはどんな団体ですか

菊池 うちは特殊ですから。すごい特殊な団体でうち程(釜石市)社協さんを後押しをしている団体はありません。北上社協がやきもちをやくくらい社協さんlove。というのも、ボランティア団体っていろんな数がいっぱいいますし、災害が起きてからの活動の中でボランティアをしようという運動にはなりますけど、結局ボランティアをするためには必要な事をやっているのが地元の社協さんで、最終的には災害で被害にあわれた方たちの活動にはなるんですが、ボランティアありきではないんです。

-基本スタンスの例を教えてください。

菊池 変な話、問題がなければボランティアはいらない訳です。災害があったから災害復旧のボランティア団体がポコポコ出来ましたけど、本来なら無いのが望ましい。社協さんというのは災害ボランティアじゃなくて元からあった地場、弱者や生活に困っている方だったり、地元の人が地元の目線でしか分からない事っていっぱいあるじゃないですか。地場に住んでいてあそこの地区がこうだっていうのを真剣に考えて、要は救済のプロな訳ですから、ここの方たちを置いて僕らが勝手に「ボランティアに来ました、何かやらせて下さい」というのは、元々話がおかしいだろというパターンで始めているので。

 実際の所僕らの団体はNPOでやっていますが、問題が解決したらなくなってもいい団体だとは思っているんです。

NPOって一応市民活動で問題解決のためにある団体だとするならば問題が解決した時点でなくなってもいいはずなんですよね、基本的には。だからこういう事を言うと、このインタビューには当てはまらないと思うんです。たぶん聞きたい事はもっと違うはず。「僕たち頑張ってます」という事を聞きたいんだろうなと思うんだけど、根底が全然違うので。
 だって僕らは一応北上の団体ですから、事務所も北上に置いてますし。要は人様の家に行って、勝手に人家の冷蔵庫開けている様な物なので、「ここの冷蔵庫の中でお手伝い出来る事、要は野菜の整理が終わったら僕らは引きますね」というのが基本スタンスなんです。わざわざそこの冷凍室開ける事もないので。

-なぜ、釜石を支援しようと思ったのですか? また、NPOを始めたきっかけについて教えて下さい。

菊池 元々は僕が始めた事なんですが、北上青年会議所っていう団体にも所属しているんですね。一事業として震災復旧活動を3月18日に始めているんですよ。最初は釜石の青年会議所の応援がスタートで、青年会議所は単年度制で、今年の事業に関しては翌年度に持ち越さないで新しい役員に全部変わってしまうんです。だから継続的な事業がうてない、けど、今回のような大きい災害があった時に、継続性を持ってやらなければいけないっていうのを、「全国の有志とNPOでしますか」ってNPOを立ち上げたのがきっかけです。

-NPOの資金について教えてください

菊池 それは様々です。僕らは透明性を持って活動しなければいけないので、寄付や支援があったら「頂きましたよ」と皆様に(HPで)ご報告する事にしています。活動させて頂いている側なので。どちらかというとしっかりやっている。ほとんどが寄付で活動を行っている様な団体なので。
 
 というのも助成金をあまり取りに行きたくないんですよね。言い方悪いんですけど。
 
 例えば1000万円まで出ますっていう助成金があるとすると、「被災者支援のために何かをやって下さい」という団体を募集しますが、僕らからすると地元の団体さんにそれを取って欲しいんです。僕らみたいな外の人間がお金を使って、被災者支援を行うのはナンセンスな話。僕らは地元の人たちが(助成金を)取りに行くために、自分達が何かをやりたいというためのお手伝いをするのが役目であって、前に出てあーだこーだいうのは基本的に間違っているだろという考え方なので、釜石の支援のプロである人たちの応援をしようというスタイルをとっている。

 だからこういう話をすると変なんです。こいつらやる気あるのかって言われるんですけど、やれる所までギリギリやります。本当は地元の人たちが僕らみたいな外から入っている人を見て、「何かやらなきゃな」と動き出すきっかけになってくれれば一番いい。
 
 だって結局僕らはここに住むわけでもないし、今はご協力頂いて平田の旧商業には住んでますけど、基本的なスタンスとしては新しい物をここに作ろうとは思ってないんです。新しい価値観とか元からあった問題って、震災以前から引きずっていた事っていっぱいあるし、そういうのをずっと総合的に考えるのは地元の人じゃなければいけないと思うんです。地元の人の思いをお手伝いするのが役目で、そのために外から資金が欲しいって言われればそのつなぎ役をやったり、人が足りないって言われれば常駐で入ったりという事はしますけど。きっかけ作りの一環でしかないので、僕らは基本的に。

-住んでいる平田の仮設住宅はどうですか? 住み心地についてはどうでしょう   

菊池 住みやすくはない。まあそういうのも勉強させて頂いてます。なんとなくのイメージじゃないですか。「仮設って大変だろうね、被災者さん」って上からの。別にこんな事がなければ普通に生活していたんだから、それを外に発信するのが僕らの役目だし、中の人ってそこに気が付かないから。大変な生活に慣れると大変じゃなくなってきちゃうんで、「実際はそれが大変なんだよと」と(感じる)きっかけ作りをする事も僕らの役目だと思っています。

-仮設団地の住民の方とお話しする機会はありますか? また、仮設団地ではイベントなど企画したりしますか?

菊池 ありますよ。ほとんどもう釜石住民みたいな者なので。基本的にはここ(社協の生活ご安心センター)ベースでやってます。そこは僕らが表に出てやる事ではないと思っています。例えイベントをやるにしても、「こういうやり方や考え方があるんだな」っていうのを、そこから持ってきてやっているだけなので。それの手法ややり方を覚えてもらって、自分たちでやって頂ければ一番いいですよね。「その繋ぎは僕らやりますんで、ぜひ皆さんやって下さいよ」というような。町のいろんな所でボコボコ動きが出てきたら面白いよなっていうのが市民活動の原点だと思うんですよね。だから、「そのきっかけ作りを僕らがやりますから、あとは住民の皆さん一緒にやりましょう」というか、「逆に住民の皆さんで真似て下さい」とか。それでバトンタッチが出来たなら、「はい、じゃやめます」という感じなんです。主役は地元の人たちなので。支援している気は全然ないです。

-これからの予定や16日の夏の港まつりのお手伝いについてはいかがですか?

高橋 出るんだと思います。その日の事はその日やるっていう感じなので。

菊池 毎日違いますからね。大枠ではだいたいこういう感じでってラインで、自分たちの中で「何やらなきゃならない」と決めてますけど、基本的に主体はここの動きなので、お手伝い出来る事があれば、そこが最優先になります。

―どこの地域から来てどのように活動していますか?

菊池 北上から来て、(震災後の)3月18日から去年3月11日まで、1年間1万6千人のボランティアを全国から派遣しました。準会員は全国に4千人近くいます。
 活動の中心は最初、社協さんニーズのボランティア対応という事で、今年の4月からは常駐支援としてICTや(高橋さんのように)インターン(要は大学生とかでお給料を貰わないで常駐のボランティアをする事)で社会勉強の一環として、社会貢献を今勉強している最中です。

-どれくらいの人数で活動していますか?

菊池 多い時はMax50人くらい、少ない時は1人。(handsは)通称アメーバ―団体と言われているので、多い時はものすごく多くなります。他の団体さんを巻き込んで活動する時は、最大100から200人とかになったりしますけど、通常時は2、3人とかです。

-どこの団体さんと組む事が多いですか?

菊池 決まってないですね。その企画ごとにまわっていたりしますから、ここにいる時点ではカリタスジャパンさんとか多いですし。

-最近のニーズや自発的に何かやりたいと思った時はどうしていますか?

菊池 自発的に何かやりたいと思った時には、裏付けを取ってから。
 例えば今この子(高橋さん)にやってもらっているのは、8月3日に鈴子で盆踊り大会やるんだけど、それは去年1度やっているので2回目なんだけど、高橋さんが勉強しながら組むという事で。
  今年の分のチラシは今作っている最中なんです。第2回目横浜の社協さん(瀬谷区・青葉区・金沢区の社協)と、はまゆり商店街さんとカリタスジャパンさんとhandsって。イベントになるとスタッフだけでも総勢200人くらいにはなります。

-高橋さんは、組み合わせや企画はどんな事をしようと考えていますか?

高橋 まだそんなにやってないからこれからです。
菊池 うちのスタイルでいうとやれる所をやれる人たちがカバーしてもらう、人と繋がりが強い団体さんには呼んで来てもらう、お金を持っている団体さんにはお金を出してもらう、道具を出してもらえる団体さんには道具を出してもらう、太鼓を叩ける団体さんには太鼓を叩ける人を出してもらうっていうのを、ミックスして一つのお祭りにしちゃうパターンなので。全部一人でやると大変じゃないですか。それのハングリングをやるって事がhandsの役目です、連絡調整ですよね。「主体にならなくていいからハブになりましょう」という考えです。
 この子(高橋さん)にやらせるっていっても、ある程度の大枠は決めておいてます。
(他に企画してみたい事とか)それはあるけど言えません。

-高橋さんの常駐6、7月までですよね?

菊池 伸びました。自分でやりたいというので。奇特な方もいるんです。
高橋 はい、伸ばしました。あとは大学の入学が秋の9月からなんで今ギリギリまで伸ばしている状態なんです。

菊池 handsはプラス海外の人も多いんです。毎回1人は来るんですが岩手県内のジェットプログラムで中学校、高校とかにリスニングやヒアリングで来ている外国人の先生のつながりが結構強くて、どっかの行事とかに来るんです。
 留学経験が多い人が多いので余計に外国の方に対してwelcomeなんです。

-外国人や地方の方や全国の方とのコミュニケーションで良かったことや困った事などありますか?

菊池、高橋
 困った事はないです。
高橋 いい勉強になるんでそれが楽しくて毎回来てました。会話する時に英語を使うので、スピーキングもリスニングも勉強になります。
菊池 ヒィランスヒィン(社会貢献の勉強)で一挙両得で出来ちゃう。
   
-活動する中で、気をつけていることはありますか?

高橋 特にはないですが、言われた事はきちんと守る事ですか。私の周りにいるのも全員目上の方なので、言われた事にはちゃんと従います。

菊池 下は19歳から上は70歳まで。何度も言うようですけど、地元の人を中心に考える。こっちがやりたい事をやるのではなくて。そこは気をつけていますね。
 逆に言うとボランティアに来た人間に対しても「いやそれいらないだろ」と言えるようなぐらいの事はしているつもりです。実際に必要な事と必要じゃない事って多々あると思うので、やっぱり地元の人を一番に考えるというか自分も地元の人になるという事を一番注意にして考えていますね。今(私は)地元の人に90%は近づいていると思いますね。
 
この間も(昨日の)復興新聞にご記載があって、ここは大通りから只越の花壇ですね。
 
菊池 結局自分が住民だったら何が本当に必要なのか、何が困るのかという事は分かるじゃないですか。そういうのは現場に来ないと分からない事だから現場を中心に考えています。

-いま何が必要で何が必要じゃない事について具体的に思う事は何ですか?

菊池 地元の人に対しては30歳前後の年代が元気じゃないですよね。たぶん次の釜石を作っていく年代の人たちが、もっとワァーっと何かやろうと言ってくれる事が足りないかなと思います。どこの地区もそうなんですが、結局年寄りはいつまで経っても年寄りなんです。いつ自分らの番に回ってくるのかって待ってたら、いつまで経っても自分たちには回って来ないです。「上の人たち頑張ってるし、言っても聞かないからやらなくても」と思っているならそれは絶対おかしいです。まずは自分たちが主体になってこの町を変えていかなきゃと思わないと。小さい話でもいいんです、「何かやってみよう」と、この年代のうちからやっていかないとこの町は良くならないでしょ。


-高橋さんのこれから目指すものについて。また、自分のモチベーションを教えて下さい。

高橋 世界銀行を目指しています。
菊池 モチベーションは楽しいと思うしかないですね。辛いと思った事はあります。ボランティア派遣している時は、毎日北上に帰ってましたので。北上は一応交通の便がいいし、内陸で被害も少なかったから、毎朝5時に起きて7時8時に着いて、ボランティアの活動を皆でやって終わると、4時過ぎるんですよね。帰って明日の準備し始めて寝るのが次の日の1時か2時で、それをずっと続けていたんですよ。そしたら体が全身じん麻疹でちゃって、気持ちはやらなきゃと思っているんだけど体が拒否反応示して。一緒に行ってるボランティアの人に「そろそろ菊池さんヤバいですよ、何か出てます。」って。

菊池 今は少し落ち着いてふくよかになってました。その中でも楽しみを見つけた事かな。やっぱり人に会うの好きですし、何かやっていればいろんな、こんなバカな仲間とか会えますし。僕らの中でバカは最高表現ですから。最高ランクの褒め言葉なんです。
 (高橋さんも)バカですよね、19歳で2か月ボランティアに行きますなんて。

-両親とか心配しますよね。

菊池 よけいに心配するはずなんですけど。
高橋 「行ってらっしゃい。やんなきゃ大学入れないでしょ」って言ってます。
菊池 だって大学に入るための活動報告で、「2カ月ボランティアやります」って書いちゃったんだもの。
高橋 最初の入試の時に入学するまでの半年間の計画を出さなくちゃいけなくて、4、5月は週に1回行って6,7月は住むって書きました。しかもその時はhandsを知らなくて当てもなく書いたんです。受かったら探そうと思って。
菊池 肝っ玉座っているんですよ、やっぱり。

-ボランティアに来ようと思ったのは、どんな気持ちからですか?

高橋 最初に大きい事を書いたのは大学に入るためです。で、今こうやって活動しているのは完全に楽しいから。最初はボランティアってあんまりいいイメージないじゃないですか。最初は、大変、辛い、汚くなるし、疲れるし、いい事は書くけど心の中では手を抜いてそれをやっていこうと思ったんですね。実際ちゃんと活動を始めてから、楽しくてそれが自分が書いた以上の事をしたくなったんです。充実しています。
菊池 楽しいっていう表現はあまり良くないけど。でも今言っているのは、自分の中の成長が楽しいっていう意味ですね。一生懸命やって誰かのためになっていると実感した時に、自分の中で成長を覚える事、僕らもまた少しでも次のステップに上がれるための勉強をさせて頂いているんだと思います。そこに楽しみを覚えられるって事がhandsの強みなのかなと思います。皆あまり深いしばりとか無いんです。自分たちがやった事が結果として誰かの役に立っているというスタイルでやっているので、誰かのためにやろうというおこがましい考えでやっていないですね。ゆるいです。

高橋 そういう話をした事は一回もないです。


菊池 ポリシーは地元住民になれ。支援の形ってすごいいいっぱいあると思うんです。例えば金銭面だったり、ボランティアの数は発災から右肩減らしのように減っていくんです。阪神淡路大震災の時も、最後の仮設から出た人が15年かかってはいるんですけど、3年で話聞かなくなったんです。
 今回の事はちょっと広域になって長引いてはいますけど、マスコミから目を離されて1年でもう話は消えている。全国的な事を言えばどんどん支援の手は減っているのが現状なんです。
 
菊池 その中で地元の人たちが力を付けて、自分たちで何かをやろうと思わない状態のまま支援の手がなくなった時に、本当に町自体が大変な事になると思うし、それを防ぐためにも今のうちから少しでも長引かせてボランティア、大きいNPO、NGOはどんどん居なくなってますから。
 何故かっていうと、ここではもう緊急期とか復旧期とか終わってしまって、僕らの役目は終わったから、まだそれが必要とされている所に行きます、という状態になっているんです、動きとして。それは神戸とか中越の時よりも物凄いスパンが早いんです。

 何故かっていうと支援をしてくれる所が近い所でも東京になっているからです。少なからず、宮城とか福島には1泊2日の日帰りで行って来れるけど岩手の沿岸部っていうのは必ず2泊3日と時間をかけてしか来られない。人間同じボランティアやるのに近い所でやった方が楽じゃないですか。輸送費やコストもかからない、疲れも残らない、いい事はやったと同じ事やるなら楽な方を選ぶじゃないですか。特に釜石は陸前高田とかとも違って距離的にも一番端で内陸からも1時間2時間半もかかる所です。

-釜石市や市民に伝えたいことはありますか? 

菊池 だから、皆の目が向いているうちに地元の人たちが、じゃ僕らもこういう事をやって町を良くしていこうという事をやり始めないと、来年になったらもっと支援の手ってなくなると思います。今僕らみたいなのがいるうちに、皆さんの世代25から30歳の一番動ける年代が力を付けて頂いて、自分たちの町に還元できる事をやっていってほしいなと、勝手な想いですけどね。僕らみたいなのがそのうち居なくなる可能性の方が高い訳です。続く限りギリギリまでやりますし、やるって言って始めた事なので逃げませんし、お手伝いもさせて頂きますけども。

菊池 ここで結婚なされて子供も産まれたら、ずっと住まなきゃないじゃないですか。気づいたら自分の子供が「どうなんだろう」っていう町にはしたくないじゃないですか。
 
 この子(高橋さん)は絶対ここの事は忘れないと思います、何かあったらここに帰って来ると思いますよ。そういう流れを地元の人たちが作っていかないというのすごく思います。そのために僕らを踏み台に使ってもらうのは全然かまわないので。

-外部の支援者や他の団体に伝えたい事などがありましたら教えて下さい

菊池 地元の人をもっと大事にして下さい。他団体に対しては何も言えません。皆さんは皆さんのポリシーを持ってやっているので、それに対しては何も言えませんし、いろいろあると思うので。

-自分ならこうするとか感じる事ありますか

菊池 ありますよ。そこのバランス感覚がすごい必要なんだろうなと思いますし、それを養うためにはやっぱり現地に居なければいけないんですよ。現場にいないと今現状がどうなっているのかって見えないので。

 いまだに支援物資送りたいっていっぱいいますからね。貰いたい人はいるかもしれませんがいつまでやるんですか。一生やってくれるんだったらいいですが、いつか止めた瞬間に今まで支援物資を貰っていた人はどうするんですか。何もしなくても物やお金をもらっていた人は生活出来て良かったって思うかもしれないけど、周りの支援者さんが止めたらどうなりますか。長い目で見て人の人生に絡む事なので。

 それはここのプロの人たち(釜石市社協)が判断したから。「自立・共助・近助」=自分たちで立ち上がる準備をする。自分たちが立ち上がれないならば一緒に立ち上がろうとする。それをするのは一番近くの人たちであるという意味でポリシーです。

-釜石市が支援物資をやめて自立に持っていこうとしたのは、実際にいつぐらいからでしたか

菊池 基本的にあおぞら市の配布辺りで7、8、9月で止めました。5月には買い物できるようになってたし、その頃には支援物資の配布を止めていこうという話が出てました。

 そのスタンスは地元のプロの人たちが判断した事で「すごいよな」って思いました。他の所なんかまだやっている所もありますからね。だから全国の団体の中で今だに物資を送り続けている所もありますから。

 去年は市議の方で出したんだけど、(まだ欲しいかは)皆さんが考える事なんです。全部が全部被災された方の、明日から普通に生活できる人もいれば、困っている人もいるから、幅が広いんですよね。皆いっしょくたに出来ちゃうわけじゃないから、同じ被災をされた枠の中でも上の人と下の人とでは絶対に差が出てきているので、ここがやっている事は本当に一番下の人の事、本当に困っている人たちを助ける役割なんです。
 上の人たちは徐々に時間が経てば被災者ではなくなっていくんです、でも一番下の人たちはいつまで経っても抜けられない悪いループに収まってる人たちもいるから。そこに関して僕らも社協を応援する事によって被災者支援じゃないですけど、釜石の本来あった問題とかも逆にお手伝い出来るようにしようという事で、常駐で入ったりしています。

-今感じている事や活動している中での気持ちはどうですか?

高橋 基本的には何のためにやっているかと言われれば、一番は自分のためなんです。今までずっと学校の中で勉強してきて、大学にこれから入るんだけどその前に一回社会を見る期間ていうのをもらって今活動していますから、毎日できない事が多いから「社会っていうのはこういう事なんだ」って全然見たことがなかった事が見えるし、やったことない事もやらなきゃないし、大変は大変だけど自分はすごい成長している気がします。

 私は大学は秋田に行きますけど、絶対ここにボランティアとして戻ってくるし、これから何度もあると思う。毎週来ますって気持ちでいます。Handsでも秋田から来てる人がいるので「お願いします」って言ってます。私は将来自分の中でも大きな物を目指していて、いろんな発展途上国とか行って、支援の仕方とか勉強してきて、それをこっちに持って帰って来れるような人になりたいなと思っています。毎日勉強だなって感じです。
 
 親も心配してると思うけど、「こういう事が出来たんだよ」という事を話すと、逆に喜んでくれます。
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ご協力ありがとうございました。
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めかぶちん、ユッケ


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