2011年11月10日 15時40分
前代表取締役 会長 河野和義さん
陸前高田市に創業200年を越える老舗の醸造元、
八木澤商店がある。河野和義さんは、八代目社長にして現在では会長を務めている。
「店のコンセプトは頑固な醤油屋だ」と語る河野さんは、その言葉どおり一本気で職人気質な印象を受ける。地元で採れたものだけを使用した商品をつくることが八木澤商店のスタイル。まさに地元、陸前高田に根付いた「食」づくりを徹底して行っている。
主 な商品として、醤油、味噌、漬物があり、醤油においては添加物を一切使用しない無添加のものを製造し、販売している。通常、八木澤商店で製造している醤油 は醸造期間が一年であるのに対し、無添加の方は醸造期間が二年。店舗に並ぶ他社のブランドの醤油は、醸造期間が約半年ということをふまえると非常に手間ひ まがかかっていることがわかる。また、漬物に使用する素材として、かぼちゃに接ぎ木をせず、自らの根で育った自根きゅうりを自社栽培している。この自根 きゅうりは全国シェア一%、つまり、陸前高田でしか栽培されていない。「自根きゅうりといえば陸前高田」という観念を定着させたのは八木澤商店、河野和義 さんと言っても過言ではない。
一 本気の性格は商品づくりだけにとどまらず、地域の催し物、お祭りなど積極的に先頭にたち、参加者を盛り上げる。陸前高田の太鼓フェスティバルを企画し、自 ら運営も行う。毎年お盆に開催されている「けんか七夕」では、河野さんの激声を合図に山車がぶつかり合う、言わゆる仕切り屋を務める。お祭りに参加する人 も山車をぶつけ合う人もみんなが河野さんの仕切りによって熱くなり、盛り上がる。市民の人々のガス抜きにも一役かっていると言える。商業の面だけでなく、 地域行事やイベントにおいても欠かすことのできない存在であり、まさに陸前高田の顔と言える。
今回の震災で八木澤商店は江戸時代から続 い てきた蔵が津波で流され、従業員も半数以上が被災した。二名は帰らぬ人となった。壊滅的な被害を受けた陸前高田、蔵も商品も流されてしまった現状をみて、 河野さんは廃業を決意したという。一本気で一度決意したことを覆すような性分ではない河野さんが、なぜもう一度八木澤商店を立て直し、商売を始めようと 思ったのか。
決定的な理由になった出来事があった。
震災前、八木澤商店の醤油、味噌に含まれる酵母菌をサンプリングするため、 釜 石市の研究所職員が商品を持ち帰っていた。震災当日、釜石にも津波が押し寄せ、例外なく研究所も被害にあったのだが、二階に保管しておいたその酵母菌は無 事だったのだ。これを機に河野さんの思考のベクトルはプラスへ向かう。従業員の解雇を取りやめ、給料を払った。新卒の従業員も予定通り採用した。チーム八 木澤の商品を販売し、その売上金を義援金に当てる活動も行った。このねらいは、とにかく商行為を行うこと、少しでもお金を出して買ってもらうことで、タダ という感覚に慣れさせない。物はお金を出して買うという認識を忘れさせないことで、この先の消費者の消費行動を正常化するということにある。
再スタートを切った八木澤商店。河野さんは社長の座を息子の通洋さんにあけ渡し、自らは会長となった。
河野さんは、これからの陸前高田について、復興、再建のビジョンを話してくださった。
ま ず、気仙杉を使い、気仙大工がつくる公営住宅を高台に建設すること。すべて太陽光発電を利用し、低地には商業施設・運動公園や菜の花畑をつくり、将来的に はバイオディーゼルとして活用できるようにすること。海岸沿いには風力発電施設をおき、すべて町のエネルギーを自然エネルギーにすること。
国際的な防災関連の大学や研究施設などを設立すること。同じような被災状況の市町村で、町作りコンテストを行い、世界各国の人々を招待して審査員を務めてもらうこと。それと同時に観光にもつなげるプランなど多様な考えをお話していただいた。
夢を語っているように思えるかもしれないが、しっかりと現実をみて、具体的な道筋を考えている。それゆえに説得力があるのだ。ドリーマーでありながあら、それ以上にリアリスト。
河野さんのお話を聞いてみて、八木澤商店の再スタート、陸前高田の将来像は、光、希望、笑顔、そんな前向きで明るいワードでしか想像できないものとなった。
5月20日 陸前高田ドライビングスクールにて河野和義氏へのインタビューより