大船渡市では越喜来に大きな花火があがります。
その仕掛人、実行委員の片山秀樹さん(大船渡市三陸町 (有)片山製材所 社長)にお話を聞きました。
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Q.なぜ片山さんに、LIGHT UP NIPPON の話が来たのでしょう?
そもそもLIGHT UP NIPPONが立ち上がった理由は、実行委員長の高田さんが広告代理店博報堂の社員で東大院生時代に研究の関係で大槌町に住んでいた関係で縁があったこと。
それから、今回TBSディレクター兼リポーターの森岡さんが取材中に大槌で被災し、山田町で足止めにあって避難所で2週間を過ごした。そこで、山田町の川石さんという避難所を仕切っていた元気者と、「この調子だと、盆の花火大会もなくなるだろう」という話になった。
そもそも、初盆の供養とか鎮魂(ちんこん)は、そうした霊を弔(とむら)うもの。
これだけの人が亡くなったのに、町外予算がないから花火を止めるという話はおかしいだろうと、「広告代理店の博報堂が都会の花火大会の企画を請け負っている。どこも自粛するという話だったので、余ったお金を東北にもってきてあげよう」という話になった。
最初は山田町だけだったが、どうせやるなら大きな話にしようと、東北3県の沿岸15市町村に、関東からお金と花火と花火師をもちこんで、当日同時刻に花火をあげようという企画が持ち上がった。
川石さんは、商工会青年部の県連の役員で、県内の50何団体のメンバーとほとんど顔見知りということもあって「片山君、こんなことやらないか」というふうに話をふられ、即答で「やりましょう!」となった。
話を振られたのは自分だけど、公に出るのはあまり好きではないので、委員長は中野さんにお願いして、自分は実行委員の顧問に。
やっぱり花火というのは、お祭り色が強い。いくら鎮魂と言ったところで普通は花火=お祭りというイメージの方が強い。
この状況でやれるか等、難しい局面もあったけど、結果として越喜来で実施することになった。
Q.片山さんはこのイベントにどんな想いを込められていたんですか?
一つは、合併してからどうしても経済的に元気がなくなってしまっていた三陸を、元気付けたいという想い。
それから、越喜来には北里大学があって、学生がいたことによって、人との交流と大きな経済効果があった。だからその存続というのも絡めたかった。
今回プレ・イベントに一役かってくれているのは、その北里大学のOB・OG・現役大学生。バスツアーでだいたい100人くらい関東の方から大学生OB・OGがこのイベントに駆けつけてくれる。
学生にいろいろ手伝ってもらうんだけれど、学生たちが来た場合泊まる場所がないと。
越喜来地区復興委員会というのがあって今後活動していこうという柱の中に大学をもう一回存続というか再来を掲げられているんだが、泊まる場所がないか話し かけたら公民館が前は避難所として使っていて寝具も残っているから、200~300人くらいなら対応できるということで提供してもらえることになった。
こういう思いを寄せるOB・OGが関東から100人もこのイベントに対して来るということを、越喜来復興委員会とともに大学にアピールできるし、地元の人 たちも学生たちと一緒にこうしたイベントをやることによって、存続などをもう一回考え直してもらえないかという1つの材料になる。
だからアプローチの仕方で、単なるイベントなんだけどものすごく奥の深い話になっていく。ecokkus(エコックス)というのは北里大学水産学部のボランティアの人たちがメインで一番最初に始まったのがイワナの放流会。年間通しては、キャンプや放流会、ごみ拾いなどをしてきた。
以前は川にたくさんいた尺イワナが、大学生のせいだけではないが激減してしまったため、水産大学の生徒の知識を借りて、この川にイワナをもう一回復活させようというところから始まった。
針生(はりゅう)さんという人は釣りが好きな人だから、「じゃあ、学生と一緒にやろうか」と。上甫嶺の ” アホの4人組 " で大学生と絡んでやろうかとなった。それでエコックスというものを立ち上げさせた。ecokkusの“K”は上甫嶺の“K”。
もう1つ大きな事業として週5日制に伴う学校の授業の削減があった。授業時間が減ったら学力低下になるから、それを何とか補おうと考えた。
田舎は都会と違って塾がないので、学生のボランティアに無料で塾を開かないかということで「フリースクール」を始めた。毎週土曜日に小・中・高校生に自分 が学校のなかでわからない勉強を持ち寄って学生がほとんどマンツーマンに近い状態で教えてもらう。こちらは学生に何にも払うことはできないけど、代わりに ご飯は食べさせるし、何かあったときの保険は自分たちがかけてあげるからと。
ふつう教職をとる学生の研修期間は、4年生の終わりあたり に 2週間学校に行ってそこでやっと生徒とふれあうっていう唯一の現場で勉強する期間になるが、こうすることで彼等にとってもよい研修期間になる。子どもたち との接し方や勉強の教え方も学べるし、親たちは経済的に楽になり、学生は自分のためになる。子どもたちは縦のつながりができる。そこでいろんな経験ができ る。
こうして3者ともメリットがある。それでこういうイベントをずっと続けていて、崎浜にものれん分けして上甫嶺の公民館と崎浜の公民館の2つで続けている。これが誰にあらわれるかと言ったら、教わった子どもたち。
ちなみに、剣持(けんもち)さんが、いまのエコックスの代表。
(2)につづく
実行委員長の中野圭さんに話を聞きました。
Q.中野圭さんが片山さんと知り合ったきっかけはなんですか?
東京に住んでいて、この震災をきっかけに地元に戻ってきたい気持ちと、それと同時に地元に何か仕事をおこしたり、地元が活気づくようなことをやりたいと考えて、「箸(はし)づくり」を始めようと思った。
海産物がこのとおりの状況なので、三陸町といえばこの大船渡にはリアス式海岸や山もたくさんあるわけだし木材もあるので、木材を使ってお箸づくりをしたいな、と思って。
そこで、三陸町で木材を扱っているところで片山さんを紹介してもらって知り合った。いまはメインは東京だけど、徐々に地元に戻ってくるイメージで考えている。
それから、okirai goblin PROJECT(オ キライゴブリン・プロジェクト。 東日本大震災で 被災した越喜来地区(岩手県大船渡市三陸町)と、 越喜来に恩返ししたい人をつなげる ためのプラットホーム)で、香月さんというデザイナーさんがいろいろ支援したり、鬼のマークの旗やステッカーを作ったりしてくれている。
そこで、越喜来のことを一生懸命何かやろうとしている若者がいると、ネット上でつながってサポートをしてくれている。グッズは7月から販売。帽子、Tシャツもある。
このプロジェクトは、物を売るというよりも、越喜来の現地の人と支援をしてくれる団体など、被災地以外で支援してくれる方をつなぐようなプラットホームを目指している。
今回、エコックスのメンバーが、バスツアーや崎浜地区の子どもたちに腹いっぱい焼肉を食べさせようというプレ・イベント(okirai summer 2011)もある。
Q.(お二人に)現時点で問題点のようなものがありましたら教えてください。中野さん:
警備の面で言うと、周りに電気がないので真っ暗な中でやらなくてはならないこと。
打ち上げ場所も今までは漁港だったけど、今度は川の水門付近。そうなってくると立ち入り禁止エリアも変わってくるので、今までとは違った警備の仕方をしなければならない。
毎年大船渡の市街地で行っていた花火大会は今年は開催しないということで今までにない人手が想定される。
片山さん:
駐車場は300台ほど確保。3方向から見られる。
観覧場所も、国道45号線から起喜来におりたところにある旧商店街の両サイドの私有地を予定している。
県道沿いなので、車両の往来が多い。安全管理をしっかりしたい。
とにかく、人のケガ、事故がないように。
片山さん:
大船渡から移動販売車で5件、地元起喜来から4件の予定。
Q.LIGHT UP NIPPONは、来年も継続したいですか?
継続する方向で考えている。プレ・イベント(okirai summer 2011)も実施する。花火の経費しか出ないが、あえて募金など行わず、人脈を駆使して経費を抑えて実施する。
模擬店以外は無料だし、アジカン(ASIAN KUNG-