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2011年11月10日 15時44分

LIGHT UP NIPPON in 越喜来(1)-大船渡市三陸町の片山秀樹さんにききました

「東北を、日本を、花火で、元気に」と東北沿岸で8月11日に一斉に花火が打ち上げられるLIGHT UP NIPPON

大船渡市では越喜来に大きな花火があがります。

その仕掛人、実行委員の片山秀樹さん(大船渡市三陸町 (有)片山製材所 社長)にお話を聞きました。

        

Q.なぜ片山さんに、LIGHT UP NIPPON の話が来たのでしょう?

 そもそもLIGHT UP NIPPONが立ち上がった理由は、実行委員長の高田さんが広告代理店博報堂の社員で東大院生時代に研究の関係で大槌町に住んでいた関係で縁があったこと。

 それから、今回TBSディレクター兼リポーターの森岡さんが取材中に大槌で被災し、山田町で足止めにあって避難所で2週間を過ごした。そこで、山田町の川石さんという避難所を仕切っていた元気者と、「この調子だと、盆の花火大会もなくなるだろう」という話になった。

 そもそも、初盆の供養とか鎮魂(ちんこん)は、そうした霊を弔(とむら)うもの。
 これだけの人が亡くなったのに、町外予算がないから花火を止めるという話はおかしいだろうと、「広告代理店の博報堂が都会の花火大会の企画を請け負っている。どこも自粛するという話だったので、余ったお金を東北にもってきてあげよう」という話になった。

 最初は山田町だけだったが、どうせやるなら大きな話にしようと、東北3県の沿岸15市町村に、関東からお金と花火と花火師をもちこんで、当日同時刻に花火をあげようという企画が持ち上がった。

 川石さんは、商工会青年部の県連の役員で、県内の50何団体のメンバーとほとんど顔見知りということもあって「片山君、こんなことやらないか」というふうに話をふられ、即答で「やりましょう!」となった。

 話を振られたのは自分だけど、公に出るのはあまり好きではないので、委員長は中野さんにお願いして、自分は実行委員の顧問に。

 やっぱり花火というのは、お祭り色が強い。いくら鎮魂と言ったところで普通は花火=お祭りというイメージの方が強い。
 この状況でやれるか等、難しい局面もあったけど、結果として越喜来で実施することになった。

Q.片山さんはこのイベントにどんな想いを込められていたんですか?

 一つは、合併してからどうしても経済的に元気がなくなってしまっていた三陸を、元気付けたいという想い。

 それから、越喜来には北里大学があって、学生がいたことによって、人との交流と大きな経済効果があった。だからその存続というのも絡めたかった。

 今回プレ・イベントに一役かってくれているのは、その北里大学のOB・OG・現役大学生。バスツアーでだいたい100人くらい関東の方から大学生OB・OGがこのイベントに駆けつけてくれる。

 学生にいろいろ手伝ってもらうんだけれど、学生たちが来た場合泊まる場所がないと。
  越喜来地区復興委員会というのがあって今後活動していこうという柱の中に大学をもう一回存続というか再来を掲げられているんだが、泊まる場所がないか話し かけたら公民館が前は避難所として使っていて寝具も残っているから、200~300人くらいなら対応できるということで提供してもらえることになった。

  こういう思いを寄せるOB・OGが関東から100人もこのイベントに対して来るということを、越喜来復興委員会とともに大学にアピールできるし、地元の人 たちも学生たちと一緒にこうしたイベントをやることによって、存続などをもう一回考え直してもらえないかという1つの材料になる。

 だからアプローチの仕方で、単なるイベントなんだけどものすごく奥の深い話になっていく。

Q.片山さんは ecokkus (エコックス) という団体とも交流があると聞いていますが?

 ecokkus(エコックス)というのは北里大学水産学部のボランティアの人たちがメインで一番最初に始まったのがイワナの放流会。年間通しては、キャンプや放流会、ごみ拾いなどをしてきた。

 以前は川にたくさんいた尺イワナが、大学生のせいだけではないが激減してしまったため、水産大学の生徒の知識を借りて、この川にイワナをもう一回復活させようというところから始まった。

針生(はりゅう)さんという人は釣りが好きな人だから、「じゃあ、学生と一緒にやろうか」と。上甫嶺の ” アホの4人組 " で大学生と絡んでやろうかとなった。それでエコックスというものを立ち上げさせた。

 ecokkusの“K”は上甫嶺の“K”。

 もう1つ大きな事業として週5日制に伴う学校の授業の削減があった。授業時間が減ったら学力低下になるから、それを何とか補おうと考えた。
  田舎は都会と違って塾がないので、学生のボランティアに無料で塾を開かないかということで「フリースクール」を始めた。毎週土曜日に小・中・高校生に自分 が学校のなかでわからない勉強を持ち寄って学生がほとんどマンツーマンに近い状態で教えてもらう。こちらは学生に何にも払うことはできないけど、代わりに ご飯は食べさせるし、何かあったときの保険は自分たちがかけてあげるからと。

 ふつう教職をとる学生の研修期間は、4年生の終わりあたり に 2週間学校に行ってそこでやっと生徒とふれあうっていう唯一の現場で勉強する期間になるが、こうすることで彼等にとってもよい研修期間になる。子どもたち との接し方や勉強の教え方も学べるし、親たちは経済的に楽になり、学生は自分のためになる。子どもたちは縦のつながりができる。そこでいろんな経験ができ る。

 こうして3者ともメリットがある。それでこういうイベントをずっと続けていて、崎浜にものれん分けして上甫嶺の公民館と崎浜の公民館の2つで続けている。これが誰にあらわれるかと言ったら、教わった子どもたち。

 ちなみに、剣持(けんもち)さんが、いまのエコックスの代表。

(2)につづく



2011年11月10日 15時43分

-三陸町ブロックの実行委員長中野さんと副委員長の片山さんにインタビュー

実行委員長の中野圭さんに話を聞きました。

Q.中野圭さんが片山さんと知り合ったきっかけはなんですか?

 東京に住んでいて、この震災をきっかけに地元に戻ってきたい気持ちと、それと同時に地元に何か仕事をおこしたり、地元が活気づくようなことをやりたいと考えて、「箸(はし)づくり」を始めようと思った。

 海産物がこのとおりの状況なので、三陸町といえばこの大船渡にはリアス式海岸や山もたくさんあるわけだし木材もあるので、木材を使ってお箸づくりをしたいな、と思って。
 そこで、三陸町で木材を扱っているところで片山さんを紹介してもらって知り合った。いまはメインは東京だけど、徐々に地元に戻ってくるイメージで考えている。

 それから、okirai goblin PROJECT(オ キライゴブリン・プロジェクト。 東日本大震災で 被災した越喜来地区(岩手県大船渡市三陸町)と、 越喜来に恩返ししたい人をつなげる ためのプラットホーム)で、香月さんというデザイナーさんがいろいろ支援したり、鬼のマークの旗やステッカーを作ったりしてくれている。
 そこで、越喜来のことを一生懸命何かやろうとしている若者がいると、ネット上でつながってサポートをしてくれている。グッズは7月から販売。帽子、Tシャツもある。

 このプロジェクトは、物を売るというよりも、越喜来の現地の人と支援をしてくれる団体など、被災地以外で支援してくれる方をつなぐようなプラットホームを目指している。

 今回、エコックスのメンバーが、バスツアーや崎浜地区の子どもたちに腹いっぱい焼肉を食べさせようというプレ・イベント(okirai summer 2011)もある。

Q.(お二人に)現時点で問題点のようなものがありましたら教えてください。
 ※写真左が中野さん、右が片山さん

中野さん:
 
警備の面で言うと、周りに電気がないので真っ暗な中でやらなくてはならないこと。

 打ち上げ場所も今までは漁港だったけど、今度は川の水門付近。そうなってくると立ち入り禁止エリアも変わってくるので、今までとは違った警備の仕方をしなければならない。

毎年大船渡の市街地で行っていた花火大会は今年は開催しないということで今までにない人手が想定される。

片山さん:
 
駐車場は300台ほど確保。3方向から見られる。
 観覧場所も、国道45号線から起喜来におりたところにある旧商店街の両サイドの私有地を予定している。

 県道沿いなので、車両の往来が多い。安全管理をしっかりしたい。
 とにかく、人のケガ、事故がないように。

Q.出店のようなものは出ますか?

片山さん:
 大船渡から移動販売車で5件、地元起喜来から4件の予定。

Q.LIGHT UP NIPPONは、来年も継続したいですか?

 継続する方向で考えている。プレ・イベント(okirai summer 2011)も実施する。花火の経費しか出ないが、あえて募金など行わず、人脈を駆使して経費を抑えて実施する。
 模擬店以外は無料だし、アジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)もノーギャラで来てくれる。

最後に中野さんからメッセージをいただきました。

2011年11月10日 15時41分

9代目 社長 河野通洋さん

陸前高田市気仙町にある(現在は大東町摺沢)八木澤商店9代目社長の河野通洋さん。
前社長の和義さんの息子である。
その通洋さんにお話をうかがった。

*      *      *

高校生のとき、「砂漠を緑化し作物を作った」
鳥取大学の教授、遠山先生に憧れていた。
高校卒業後はアフリカの砂漠の緑化に取り組みたいと考え国連に就職、
その後、国連の職員として働くためにアメリカへ。

しかし、頭がついていけず大学をなかなか卒業できなかった。
そんな時に父の和義さんが倒れたため、日本へ帰国し、3年間盛岡で働き、
その後八木澤商店に入った。

しかし、今でも技術者になり砂漠を緑に変えるという夢は諦めていない!
誰が経営者になっても潰れない会社にしたら、 難民を救うために即アフリカへ行こうと考えている。
いつか八木澤商店で農業や微生物を研究する人材を育てて、
チームをつくってアフリカに行きたいと夢見ている。

今回の震災を経験して、人間が自立しようとする力は重要だと気付いた。
そして、自立しようとしている人には必ず手を差し伸べてくれる人たちが
いることにも気付いた。
だからこそ、自立する力を失っている国のために次は自分が頑張りたい。

たった一人の誰かの行動で世の中は変わるし、
経済は世の中を変える力があると信じている。
「何のために、誰のために生きているのか」が大事であって、
八木澤商店の醤油を作ることによって何人を笑顔にできるかで、
八木澤商店の「存在意義」が明確になってくる。

八木澤商店に震災後日本中からファンレターや応援メッセージが届いた。
だから八木澤商店は潰れない。
なぜなら、一人ひとりの「存在意義」が明確になっているからだ。

自分の存在意義が明確で、さらに周りが喜んでくれたら、
それ以上の幸せはない。

*      *      *

社長さんに質問した。

Q. 専務から社長になって何か気持ちの変化はありましたか?
A. 専務から社長になっても「会社を良くしていきたい」という気持ちは変わっていない。
ただ、はんこをつく仕事が増えただけ。

Q. 新社長として商品開発など挑戦したいことはありますか?
A. まずは、お客様が復興しなければ会社も復興することはできない。
 私たちは、醤油や味噌を作ることで買ってくれたお客様の食卓が
 笑顔になるお手伝いをしているだけ。
 今回の震災で八木澤を潰してはいけないと全国の皆さんから声をかけてもらった。
 だからこそ2ケ月で少しずつではあるが、復興を遂げている。
 世の中に出て誰かを喜ばせることができなければ仕事ではない!
 せっかく生き抜いた命を誰かのために使わなければならない。
 「進めば必ず道は開ける。」


★感想★
今回の取材を通して、私たちは被災者面をしていてはいけないと感じた。
ただ雇われているのではなく、この仕事を通して誰かを喜ばせたり感動させたりし、
何のために生きて誰のために働いているのか存在意義を明確にできたら良いなと思った。

2011年11月10日 15時40分

前代表取締役 会長 河野和義さん

陸前高田市に創業200年を越える老舗の醸造元、八木澤商店がある。河野和義さんは、八代目社長にして現在では会長を務めている。

「店のコンセプトは頑固な醤油屋だ」と語る河野さんは、その言葉どおり一本気で職人気質な印象を受ける。地元で採れたものだけを使用した商品をつくることが八木澤商店のスタイル。まさに地元、陸前高田に根付いた「食」づくりを徹底して行っている。

主 な商品として、醤油、味噌、漬物があり、醤油においては添加物を一切使用しない無添加のものを製造し、販売している。通常、八木澤商店で製造している醤油 は醸造期間が一年であるのに対し、無添加の方は醸造期間が二年。店舗に並ぶ他社のブランドの醤油は、醸造期間が約半年ということをふまえると非常に手間ひ まがかかっていることがわかる。また、漬物に使用する素材として、かぼちゃに接ぎ木をせず、自らの根で育った自根きゅうりを自社栽培している。この自根 きゅうりは全国シェア一%、つまり、陸前高田でしか栽培されていない。「自根きゅうりといえば陸前高田」という観念を定着させたのは八木澤商店、河野和義 さんと言っても過言ではない。



一 本気の性格は商品づくりだけにとどまらず、地域の催し物、お祭りなど積極的に先頭にたち、参加者を盛り上げる。陸前高田の太鼓フェスティバルを企画し、自 ら運営も行う。毎年お盆に開催されている「けんか七夕」では、河野さんの激声を合図に山車がぶつかり合う、言わゆる仕切り屋を務める。お祭りに参加する人 も山車をぶつけ合う人もみんなが河野さんの仕切りによって熱くなり、盛り上がる。市民の人々のガス抜きにも一役かっていると言える。商業の面だけでなく、 地域行事やイベントにおいても欠かすことのできない存在であり、まさに陸前高田の顔と言える。

今回の震災で八木澤商店は江戸時代から続 い てきた蔵が津波で流され、従業員も半数以上が被災した。二名は帰らぬ人となった。壊滅的な被害を受けた陸前高田、蔵も商品も流されてしまった現状をみて、 河野さんは廃業を決意したという。一本気で一度決意したことを覆すような性分ではない河野さんが、なぜもう一度八木澤商店を立て直し、商売を始めようと 思ったのか。
決定的な理由になった出来事があった。

震災前、八木澤商店の醤油、味噌に含まれる酵母菌をサンプリングするため、 釜 石市の研究所職員が商品を持ち帰っていた。震災当日、釜石にも津波が押し寄せ、例外なく研究所も被害にあったのだが、二階に保管しておいたその酵母菌は無 事だったのだ。これを機に河野さんの思考のベクトルはプラスへ向かう。従業員の解雇を取りやめ、給料を払った。新卒の従業員も予定通り採用した。チーム八 木澤の商品を販売し、その売上金を義援金に当てる活動も行った。このねらいは、とにかく商行為を行うこと、少しでもお金を出して買ってもらうことで、タダ という感覚に慣れさせない。物はお金を出して買うという認識を忘れさせないことで、この先の消費者の消費行動を正常化するということにある。
再スタートを切った八木澤商店。河野さんは社長の座を息子の通洋さんにあけ渡し、自らは会長となった。

河野さんは、これからの陸前高田について、復興、再建のビジョンを話してくださった。
ま ず、気仙杉を使い、気仙大工がつくる公営住宅を高台に建設すること。すべて太陽光発電を利用し、低地には商業施設・運動公園や菜の花畑をつくり、将来的に はバイオディーゼルとして活用できるようにすること。海岸沿いには風力発電施設をおき、すべて町のエネルギーを自然エネルギーにすること。
国際的な防災関連の大学や研究施設などを設立すること。同じような被災状況の市町村で、町作りコンテストを行い、世界各国の人々を招待して審査員を務めてもらうこと。それと同時に観光にもつなげるプランなど多様な考えをお話していただいた。

夢を語っているように思えるかもしれないが、しっかりと現実をみて、具体的な道筋を考えている。それゆえに説得力があるのだ。ドリーマーでありながあら、それ以上にリアリスト。
河野さんのお話を聞いてみて、八木澤商店の再スタート、陸前高田の将来像は、光、希望、笑顔、そんな前向きで明るいワードでしか想像できないものとなった。

5月20日 陸前高田ドライビングスクールにて河野和義氏へのインタビューより

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