ボランティア体験談
2016年3月15日 18時13分

災害ボラバスに参加して 33

3月11・12日、ひょうごボランタリープラザの37回目となる東北ボランティアバスに34名(16~77歳)が参加した。宮城県名取市・登米市(南三陸町志津川地区の被災者が入居)の仮設住宅で、追悼行事の支援や入居者との交流を。仙台市では、農地整備を行った。
○11日(金) 名取市箱塚桜団地と愛島東部団地仮設住宅
 この二つの仮設住宅には、昨年12月の年末清掃に続きの訪問で、それぞれの仮設住宅に2班に分かれ入る。私達は、箱塚桜で予め要望のあった部屋の清掃を2人一組でかかり、30分程で全て完了したので、余時間で仮設住宅敷地周りのゴミ拾いを2人で燃えるゴミ・燃えないゴミに分別して、1周廻ったころには45?袋が満杯になるほどになっていた。前回から月日がそれ程経っていないので、あちこちから「また来ていただいて、ありがとう、どうもねー!!」と、声を掛けていただく。
また他方の班は、愛島東部で犠牲者の名前が書かれた竹灯籠300本を神戸から持込み、追悼行事の準備にかかる。「“3・11”、“ユリアゲ”」の文字に並べ、水を入れてローソクを浮かべる。14時30分頃には、周りに仮設住宅の住民やボランティア・報道関係者が所狭しに集まっていた。犠牲者名が書かれた竹灯籠を探し出すと、神戸の「1・17希望の灯り」から分灯された火をローソクに移し、気持ちを込めて火を点けられていた。14時46分の発災時刻には、全員で1分間の黙祷を捧げる。また、17時46分(阪神・淡路大震災の発災時刻5時46分に因み)には、その場に居る全員が竹灯籠を囲むように周囲で手を繋ぎ、心を一つに1分間の黙祷を捧げる。
終了後は、仮設住宅集会所で交流会です。住民とボランティアが思い思いの席に座り、普段の何気ない話や近況をお互いに交し、あっと言う間に楽しい一時が終了しました。またの再会をお願いして、本日の活動が終了です。
○12日(土) 仙台市若林区種次で農地整備と登米市イオン南方店跡地仮設住宅で交流
  先立ち、海岸近くの震災慰霊之塔で、全員で黙祷を捧げます。近くにある荒浜小学校(4階建て)は、震災当日に校舎内に居た全員が上の階に避難して無事だった。ここも3月末を以て閉校とのこと。
市社協の案内で、種次地区で農地整備です。農地には、小石や中にはガラス片も顔を出していて、慎重に取除いていきます。中にはコンクリート片も見え、掘り進むと80?四方(20?厚)が出てきて、3人でゆっくりと集積場所に移します。行政が行ってきた、農地から出た小石やガレキ等の無料回収が、3月末で終了になるとのことで、ここにも支援の縮小が窺えた。土嚢袋12袋分の小石が集められ、また若い参加者には土嚢袋の結え方を覚えてもらいました。
午後は、登米市(南三陸町の西隣に位置し、町内で仮設住宅用地が確保できないため、同市内で用地を借り受け入居されている)にある仮設住宅で、住民との交流です。
昨年末の清掃に続いての訪問で、集会所に案内されると既に部屋の半分程に住民の皆様方が座っておられ、あちこちで「誰々さーん、また来てくれて、どうもねー!!」との声で迎えていただきました。自治会長の挨拶後、昨日追悼行事を行った祭壇に、ボランティアが一人ずつ献花をさせていただきました。10人位が入混じって車座になり、震災当時から現在の普段の様子を話していただいた後に、ボランティアのギター演奏をバックに全員で合唱です。東北の様子や今の季節の選曲で、途中、涙を流しながら歌っている方も居られ、全員が大きな声で最後まで歌い切りました。
 別れ際、4月に1/3程の住民が災害公営住宅に移る予定で、喜ばしいことだが、後に残る住民には不安と寂しさで、複雑な思いが交叉すると話していただき、また今年中の再会をお願いして、仮設住宅を後にしました。

神戸市西区      60代       男性       無職

◆ボランティア活動期間      2016年3月11・12日
◆ボランティア活動した市町村     宮城県名取市、仙台市若林区、登米市

 
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